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「私自身もワーク・ライフ・バランスという言葉を捨てます。働いて、働いて、働いて、働いて、働いてまいります。」 ~自民党新総裁の言葉にみる「正しさ」のぶつかり合い~【コラム#130】

「私自身もワーク・ライフ・バランスという言葉を捨てます。働いて、働いて、働いて、働いて、働いてまいります。」 ~自民党新総裁の言葉にみる「正しさ」のぶつかり合い~【コラム#130】

【ヒューマン・タッチ レター vol.130】

みなさんこんにちは。ヒューマン・タッチの森川です。先日、自由民主党の新総裁に高市早苗氏が当選されました。

女性初の総裁であり、女性初の首相の可能性を秘めた総裁です。

保守を自認する彼女の物言いは、聞く人間の感情に訴え、賛同を得るスタンスと感じます。

表情や言葉の間の取り方、すなわち視覚情報や聴覚情報をうまく使って、言葉の情報を相手に届けようという力を感じます。

■職場でのメンタル不調の要因は?

 以前も書いたと思いますが、職場でのメンタルヘルス不調、突き詰めれば「正しさのぶつかり合い」が要因だと考えています。

「職場や上司の正しさ」と「従業員の正しさ」この違いやずれが摩擦を生み、「事柄の問題」から「関係性の問題」に移行し、信頼関係の破綻、コミュニケーションに関する負担感の増加、ストレス反応、といった流れで理解できます。

 ここで言う「正しさ」は唯一の正解がある絶対的なものでなく、「大切にしている信念」「よって立つ考え方」「判断基準」と言い換えることができるものです。

組織であれば、社長や会社風土から構築されることが多く、個人であれば成育歴や本人の性格特性から形作られている事もあると思います。まさに十人十色のものです。

■「正しいぶつかり合い」の生じ方

 例えば、「勤務の経験を多く積み、業務上も人間的にもより成長してほしい、職場で部下を成長させ、出世させることこそ自分の価値」と考える上司と「今後のキャリアを考えた時、今は子どものために時間を使いたい。仕事をやめる事に比べれば事務補佐であっても仕事を継続することが価値」と認識している部下がいたとします。

年一回の考課面談にて、上司は、自分のまた組織の「正しさ」を延々と述べることになりますね。自分として「正しい」考えとの認識ですから、相手のためにもなると考え、また、

「上司はこうであるべきだ」、といった性格傾向も重なれば、口調も強くなるかもしれません。他方、従業員はどのようにとらえるでしょうか。「今は、仕事ではない、子どもとの時間が最優先だ。どうしてわかってくれないのか。これ以上言ってもらちが明かない、上司に相談するは辞めるようにしよう」となってしまうかもしれません。

それぞれの「正しさ」がぶつかり問題が生じた際、すり合わせを実施して解決可能な「事柄の問題」のうちにそのすり合わせを放棄することになると、相手にレッテルを張り、自ら関係性を制限し、その対応がまた相手を頑なにしてしまうループに入ってしまう「関係性の問題」に至ってしまうことがあります。こうなると問題解決のみならず、相手との信頼関係を継続することが非常に難しくなってしまいます。

■「組織の正しさ」と「個人の正しさ」

 最近、「組織の正しさ」は極大化しやすく、「個人の正しさ」は相対的で揺れやすい、傾向があるのではないかと考えるようになりました。新社長が、「今年は勝負の年だ!昨年のノルマの1.5倍の売り上げをめざすぞ!私自身土日も返上して現場にでるから、皆もよろしく頼む!」と年頭のあいさつで述べた時、幹部や管理職はどう思うでしょうか。

 私が管理職であれば組織側の人間である以上、新社長の想いを汲んで「社長が土日も仕事するのであれば、自分たちは夜中まで毎日仕事して、社長よりも1分でも長く会社に居て仕事しよう」と思ってしまいます。

 他方これを聞いた従業員はどうでしょうか。それぞれの正しさをベースに受け止めるはずです。「何を言ってるのかうちの新社長は。お客もないし人員も増やそうとしないのに、気合だけで売り上げが上がるわけないだろう。とにかく、今は家族優先で経験値を詰めればそれでよいので、無理せずここに在籍出来る限りはここに居よう。何か言われたら転職でよい。無理してまで仕事する必要はない。」と考えてしまう人もいるでしょうか。

 ここからわかるように、「組織の正しさ」は集団の中で、忖度や権力思考が結び付き極大化しやすく、「個人の正しさ」は自分のライフステージや社会情勢、世代間の認識から相対的でうつろいやすいものだと思うのです。

■高市さんの発言から考えられること

 翻って、高市さんの言葉を思い出してみます。「私自身もワーク・ライフ・バランスという言葉を捨てます。働いて、働いて、働いて、働いて、働いてまいります。」

国会議員は直接雇用の従業員とは異なりますが、もしこの言葉を新社長が雇用関係にある従業員へのあいさつで述べた時、「正しさ」のぶつかり合いが各所で起こることは、火を見るよりも明らかですね。

ただ、私は「正しさのぶつかり合い」をなくすことはできないと思っていますし、無くすべきでもないと考えています。「法人」という表記がありますが、組織もその風土や考え方は千差万別です。このところの「ワークライフバランス」「エンゲージメント」「ハラスメント防止」「多様性の尊重」などという言葉の中で、あるべき会社像が非常に狭く定義されてきている感覚があります。それこそ「多様性」を認めていないのではないでしょうか。動物的感覚で営業し積極的に数字を求める会社もあれば、毎朝大きな声で朝礼して気合を入れる会社もあります。

また、社長以下フラットな関係性で敬語もNGのような会社もあります。多様な「法人」が社会を支え、私たちのより良い未来を作っていくのだと信じています。

 大切なことは、自分の正しさを言語化して相手に理解してもらう努力と共に、相手の正しさを理解してその違いをすり合わせようとする意識を持つこと、ではないでしょうか。

国会議員は、「国民の声」という大義からも様々な「正しさ」を有していると思います。「正しさ」を押し付けあうのではなく、それぞれの正しさを分解し、相手の正しさとの重なりを見つけ、その重なりの実現に関して最大限の力を尽くすことを、一国民としては新総裁と国会議員の皆さんにはお願いしたく思っています。

職場のメンタルヘルスを考えた時に、上司と部下の間でも同じことが言えると考えています。正しさの重なりを見つけること、そのためには双方に「対話」「傾聴」「尊重」「慈善」「利他」という意識が必要になってくるのではないでしょうか。
投稿日:2025.10.09
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